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■ vol.1 『将棋を指すようになったのは……』
常々、ホームページも充実したものになれば良いなぁ、何て考えてたワタクシ、この度、読み物コーナーと言うか、棋譜再生以外のページもつくってみることにした。 と、さて…… 初回ってことで、何を書こうかと少々考えてみたのであるが、まぁ無難な話題ってことで、ワタクシが将棋を指すようになったきっかけとか、その辺の話をしてみようと思う。 子供の頃の話からはじめると、かつての実家には、父か祖父の手作りによる将棋盤があり、小学生の頃、父親に駒の動かし方を習ったような記憶もうっすらとあるのだが、それで実際に父を相手に将棋を指した記憶ってのは無いのである。 中学生になって以降、10代のうちに将棋を指す機会というものは全く無く、TVの将棋番組を見るどころか、駒に触れることすら無かった。 ワタクシが将棋を指すようになったのは、22、3歳の頃のことである。 当時ワタクシは食品加工の工場に勤めていたのであるが、その職場で、休憩時間に将棋を指している連中がいたのがきっかけである。 その当時のワタクシというのは、駒の動かし方くらいは、何となく知っているけど、それすら不確かなレベルであった。事実、飛車が成ったとき(当時はまだ“竜王”と言う呼び名も知らず、“成り飛車”などと呼んでいた)の動きは“飛車+金”だと思い込んでいたのであって、竜が斜め後ろに行けるのを知らなかったくらいなのである。 当時のワタクシ、今よりも鼻っ柱が強かった。まったくの初心者であるにも関わらず、負けて腹立たしかった。 ヘヴィメタ兄ちゃん、生意気盛りであった。 で、何をしたかと言うと、将棋のゲーム・ソフトを買ってきた。当時のハード・ウェアといえば、スーパーファミコンである。何というソフトだったか、もう忘れてしまったが、その頃の自分にとっては鬼のように強かった記憶がある。 どんなものでもそうじゃないかと思うのだが、理解が深まるにつれて面白くなっていくものである。ましてや将棋は奥の深いゲーム。職場では毎日のように休憩時間に対局を行い、帰ってきてはスーファミのソフト相手に指しまくり、日曜日にはNHKの将棋講座&トーナメントを欠かさずみるようになってたワタクシ、もはやすっかり将棋にハマってたと言えよう。 そんな有り様であったから、やがて鬼強いと思っていたソフトにも、ぽつぽつと勝てるようになり始め、次第に勝率も上がってくるようになった。 また、この頃、毎日新聞の夕刊紙上にて行っている棋力判定に挑んだことがあり、これが後にも先にもワタクシの行った唯一の棋力判定なのであるが、10週連続で往復ハガキを書いて送った後、ワタクシに下された判定は「あなたは四段です」と言うものであった。 職場最強の名を欲しいままにしていた生意気盛りなワタクシ、自分は天才だと勘違いしかけた。 しかし実際には、毎日新聞の紙上での棋力判定は近代将棋などの将棋雑誌紙上で行われている棋力判定よりも、かなり甘いのであって、実際の評価はもっと下であろうと思われたし、また強いと思っていたスーファミのソフトも実は大したことは無く、職場連中に至っては原始棒銀一直線しか知らない将棋ファンくらいなレベルだったのであって、勝てて当然というのは、いささか傲慢な言い草ではあるが、さして自慢出来るようなことではないのである。 その後一年くらい、結構、熱心に将棋を指していたのであるが、職を変えたり何なりと言った生活環境の変化もあって、いつの間にやら、まったく将棋を指さなくなってしまっていた。 その後、将棋を指す機会の無いままに、10年近い月日が流れた。 で、去年。 それから約一年が経過して現在。 それが、今の“中級棋士・魏論”である。 2006年8月6日 魏論拝
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