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■ vol.1 『将棋を指すようになったのは……』 

 常々、ホームページも充実したものになれば良いなぁ、何て考えてたワタクシ、この度、読み物コーナーと言うか、棋譜再生以外のページもつくってみることにした。
 というか、将棋のサークルを主催しているにも係らず、自分のホームページやブログで将棋をマトモに取り上げた事がなかった。
 ワタクシ、全く、どうにかしていた。

 と、さて……

 初回ってことで、何を書こうかと少々考えてみたのであるが、まぁ無難な話題ってことで、ワタクシが将棋を指すようになったきっかけとか、その辺の話をしてみようと思う。

 子供の頃の話からはじめると、かつての実家には、父か祖父の手作りによる将棋盤があり、小学生の頃、父親に駒の動かし方を習ったような記憶もうっすらとあるのだが、それで実際に父を相手に将棋を指した記憶ってのは無いのである。
 むしろその頃というのは、もっぱら“ひょこまわり(歩まわり)”ばかりして遊んでいた記憶の方が強く残っている。

 中学生になって以降、10代のうちに将棋を指す機会というものは全く無く、TVの将棋番組を見るどころか、駒に触れることすら無かった。
 ワタクシというのは、コレ、10代なかばからギターを始めたのをきっかけに、音楽にすっかり魅せられてしまい、以降は己が人生を迷走させていったのであり、酒の臭いと煙草の煙が漂う喧噪、ロックという名の人生様式の中には将棋の“しょ”の字も出ては来なかったのである。 

 ワタクシが将棋を指すようになったのは、22、3歳の頃のことである。
 当時のワタクシというのは、ブリーチで金髪にした髪を腰に届くくらいまで伸ばして、「飲む」「打つ」「買う」「親不孝」の四拍子のもと、まさにヘヴィメタ兄ちゃん全盛期。迷走人生もここに極まれり、といった感すら漂う風体。
 いやもう見た目からの印象で言うなら、将棋から最も縁遠い格好をしていたかも知れぬ。

 当時ワタクシは食品加工の工場に勤めていたのであるが、その職場で、休憩時間に将棋を指している連中がいたのがきっかけである。
 これは一概には言えないことかも知れぬが、それでもまぁ工場勤務などの場合、大体にして休憩時間に何をしてるかと言えば、紙コップに注がれて出て来る自販機でジュースなどを購入し、それをちまちまと啜りながら煙草をふかすくらいしか、することが無いのであって、それ以外は寝るか、雑談をするか、呆けるかくらいなものなのである。
 つまりヒマを持て余しているのであって、他に見るものもなく、人が指しているのをボンヤリと眺めていたのであるが、そうやって見ていると、自分もやってみたくなるのは人間の心理としては良くあることで、「良かったら、やる?」なんて、お誘いの言葉が掛かったのをコレ幸いと、Let’s対局と相成ったのであった。

 その当時のワタクシというのは、駒の動かし方くらいは、何となく知っているけど、それすら不確かなレベルであった。事実、飛車が成ったとき(当時はまだ“竜王”と言う呼び名も知らず、“成り飛車”などと呼んでいた)の動きは“飛車+金”だと思い込んでいたのであって、竜が斜め後ろに行けるのを知らなかったくらいなのである。
 つまり、駒の動かし方から覚え直したと言っても、過言ではない状況であった。
 そんな程度であったから、誰とやっても連戦連敗。虫ケラの如く、負けまくったのである。

 当時のワタクシ、今よりも鼻っ柱が強かった。まったくの初心者であるにも関わらず、負けて腹立たしかった。 ヘヴィメタ兄ちゃん、生意気盛りであった。
 そこでワタクシ、職場連中に勝つには、まず、実戦を多く積まねばと考えた。
 しかし、当時はネットなども発達していない頃であったし、またワタクシ、道場などの存在も知らなかった。

 で、何をしたかと言うと、将棋のゲーム・ソフトを買ってきた。当時のハード・ウェアといえば、スーパーファミコンである。何というソフトだったか、もう忘れてしまったが、その頃の自分にとっては鬼のように強かった記憶がある。
 それで連日連夜、スーファミの電源を入れては、そのソフト相手に指しまくった。
 また、NHKのTV将棋トーナメントや、将棋講座を見るようになったのも、この頃である。

 どんなものでもそうじゃないかと思うのだが、理解が深まるにつれて面白くなっていくものである。ましてや将棋は奥の深いゲーム。職場では毎日のように休憩時間に対局を行い、帰ってきてはスーファミのソフト相手に指しまくり、日曜日にはNHKの将棋講座&トーナメントを欠かさずみるようになってたワタクシ、もはやすっかり将棋にハマってたと言えよう。

 そんな有り様であったから、やがて鬼強いと思っていたソフトにも、ぽつぽつと勝てるようになり始め、次第に勝率も上がってくるようになった。
 そうして、将棋を指し始めてから半年が過ぎた頃、スーファミのソフトは、もはや敵ではなく、また、職場においても、ワタクシの相手となる者はいなくなっていた。

 また、この頃、毎日新聞の夕刊紙上にて行っている棋力判定に挑んだことがあり、これが後にも先にもワタクシの行った唯一の棋力判定なのであるが、10週連続で往復ハガキを書いて送った後、ワタクシに下された判定は「あなたは四段です」と言うものであった。 

 職場最強の名を欲しいままにしていた生意気盛りなワタクシ、自分は天才だと勘違いしかけた。

 しかし実際には、毎日新聞の紙上での棋力判定は近代将棋などの将棋雑誌紙上で行われている棋力判定よりも、かなり甘いのであって、実際の評価はもっと下であろうと思われたし、また強いと思っていたスーファミのソフトも実は大したことは無く、職場連中に至っては原始棒銀一直線しか知らない将棋ファンくらいなレベルだったのであって、勝てて当然というのは、いささか傲慢な言い草ではあるが、さして自慢出来るようなことではないのである。

 その後一年くらい、結構、熱心に将棋を指していたのであるが、職を変えたり何なりと言った生活環境の変化もあって、いつの間にやら、まったく将棋を指さなくなってしまっていた。

  その後、将棋を指す機会の無いままに、10年近い月日が流れた。

 で、去年。
 ハンゲームというゲームサイトがあることを人づてに聞いて知り、そのユーザーとなったのであるが、麻雀、五目並べ、オセロなど、あまたあるゲームの中からワタクシが選んだのは、やはり将棋であった。

 それから約一年が経過して現在。
 その間にこなした交流広場での対局数は500戦強。また、サークルに参加したり、自らが主催するようになったりといった事もあった。
 そうこうしながら、かつての感覚が戻ってきつつあり、また新たに学んだことが、それと相まって現在の棋力に結びついているのではないかと思う。

 それが、今の“中級棋士・魏論”である。

 2006年8月6日  魏論拝

 

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